暮らしを考えるPart8
暑い日が続きますが、日を追うごとに秋へと季節が移り変わろうとしています。
今だにコロナは収束せず、第7波はこれまでにない感染者数となりました。
これまでに国内で1672万5877人(8月19日時点)感染しています。日本の人口は1億2580万人ですので、8人に1人は感染していることになります。
私はまだ感染していませんが、いつ感染してもおかしくない状況です。
この病はいつ終わりを告げるのか、マスクなしの日常に早く戻りたいです。
コロナが収まらない中ですが、お盆は宮崎に帰省しました。
子供が生まれて9ヶ月が経ちます。実母には会わせたことがなかったので、小さいうちに一度は抱いてもらいたいと、帰省することを決めました。
住んでいる香寺から宮崎県宮崎市の実家まで、車で9時間37分掛かります。
行きは小倉に住んでいる伯父に会うため、北九州市の門司港で一泊しました。
それでも門司区まで5時間27分。
門司区から宮崎の実家まで4時間22分、慣れない長距離の運転に疲れました。
宮崎には13日のお昼に着きました。
父は他界していませんが、伯父、伯母、母、兄弟家族、甥、姪、友達が子供が生まれたことを喜び、祝ってくれました。
宮崎の帰省は3日間で、15日の朝には宮崎を出たので、短い滞在となりましたが、充実した思い出に残るお盆になりました。
今回の暮らしを考えるPart8は、いつもと違う内容で、観光をした門司港のお話しとなります。最後まで読んでいただけると幸いです。
門司は福岡県北九州市の7つある行政区の1つです。
福岡といえば、福岡市の天神や博多には行ったことがありわかりますが、門司?どこだろうと考えます。下関から関門橋を渡り、降りたところが門司区となります。
門司区に門司港があります。1889年門司港は国の特別輸出港に指定されて以降、金融機関や商社・海運会社の支店が相次いで進出し、外国航路の拠点および貿易港として発展しました。
関門海峡を横断するトンネルや橋はなく、関門連絡船の発着地であったため、九州の玄関口としての役割を果たしていました。
しかし、1942年に関門鉄道トンネルが開通し、門司港駅を経由せずに本州の行き来が可能になったことや、戦後、中国などの大陸貿易が途絶えたことにより、急速にその地位を失ってきました。
1988年に門司港駅舎が国の重要文化財に指定されたことを契機に地区内に残る歴史的建造物を生かした観光地としての整備が行われ、1995年に『門司港レトロ』としてグランドオープンして、現在は年間200万人以上の観光客を集めています。
夜と早朝の門司を写真に収めました。
画像では一見物静かな街に見えますが、日中は多くの観光客で賑わっています。
門司港は焼きカレーが有名で、焼きカレーの専門店がいくつかあります。芸能人の上戸彩が地球が滅亡するときに一番最後に食べたいと、門司港にある『BEAR FRUITS』というお店の焼きカレーを絶賛したようです。
『BEAR FRUITS』の焼きカレーを食べることはできませんでしたが、別のお店でいただきました。
宿泊先の『プレミアム門司港』の窓から下関の夜景が見れて凄く奇麗でした。
12日に宿泊しましたが、13日は関門海峡花火大会があるとのことでした。下関と門司が合同で行う、日本で唯一、県境を越えた同一名称で開催されるイベントです。
下関側、門司側で別々に行われますが、花火を打ち上げるタイミングをほぼそろえるなど、一体的に運営しているようです。
12日のお昼に門司港に着いて、夕方、電車で小倉へ行き、伯父さんと夕食をして翌日の早朝、宮崎に向けて出発したので、門司港での観光時間は短かったですが、また行きたいと思う場所でした。九州へ旅行に行く際は、門司港も観光してみてはいかがでしょうか。
『プレミアム門司港』は伯父がとってくれたホテルになりますが、宿泊されるなら、下関側の部屋を予約されると良いですよ。
短い省でしたが、家族、友達に久しぶりに会えて凄く充実していました。
離れているので、直ぐには会えないのが残念でなりませんが、次は父の7回忌に帰る予定です。また家族や友達に会えることが待ち遠しいです。